読書録

Sunday, January 23, 2005

文系のための数学教室 小島 寛之 (著)

悪くはないが、企画自体にやや無理がある。

著者は数学科を卒業後、予備校等で数学を教えていたが、最近は経済学の研究者として活躍中の人。言うまでもなく予備校は日本の社会で「教える能力」について競争が成立している唯一の場であり、そこで経験を積んだ著者の説明は極めて明快で、門外漢にも理解できるよう良く工夫されている。

ただ、本書のコンセプト自体に若干無理があった感は否めない。理系の人から見れば「文系」は皆同じに見えるかもしれないが、同じ文系でも法学と経済学と哲学と心理学では物の見方や思考方法が全然異なる。本書で著者はなるべく幅広いトピックを取り上げようと努力したようだが、それが裏目に出てやや散漫になっている。

内容を個別に見ると、冒頭の「微分積分読解法」は掴みとしては良い。次の論理の話も悪くない。続く距離空間の話になると、私には理解不能な「数学の美しさ」が強調されてガックリ。その後の民主主義とオプション取引の話は分かりやすくて良い。最後の哲学モドキは正直「?」で、他の章とは明らかに異質な感じ。著者が数学道具主義に反発を覚える気持ちも分からないではないが、そうした「数学の美しさ・楽しさを他人に啓蒙しようとする態度」こそが数学嫌いの人には趣味の押し付けにしか感じられず、反発を生んでいるのだということも理解してほしい。ツールとしての有用性を強調した方が、「文系」の人間にはよほど広く受け入れられるのではないだろうか。

ともあれ、価格分の値打ちは十分にある。週末に一日で読み切る本としては、オススメもできる一冊である。

Andrew Lloyd Webber's The Phantom of the Opera

ファントムの悲しみが伝わらない。

この映画の致命的な欠点は、ファントムの苦悩や悲しみが全くと言ってよいほど表現できていないことである。ジェラルド・パトラー演じるファントムは、あまりに男性的で、荒々しく、直接的である。端的に言えば、ただのサイコ野郎である。この映画を見てファントムに心から同情する人は、おそらく皆無だろう。そしてそのことは、美しい音楽や鮮やかな映像効果にもかかわらず、この映画が駄作であることを意味している。

私は数年前ブロードウェイでオペラ座の怪人のミュージカルを見て、ファントムの悲しみに心打たれた。作品が終わった時、私は自分の心情を劇中のファントムに完全に重ね合わせていた。なるほど、ミュージカルにおいてもファントムはサイコ野郎である。ストーカーである。しかし、決して「ただの」サイコ野郎ではない。繊細で、人間的で、人一倍の優しさを持ったサイコ野郎である。クリスティーヌを心から愛していながら、愛情を屈折した形でしか表現できない。容姿に対するコンプレックスから姿を表すことすら出来ず、声でしかコミュニケートできない。そんな不器用なファントムの姿が、この映画からは全く伝わらない。ファントムがクリスティーヌに初めて姿を現すとき、彼があんなに堂々としているはずがないのだ。あんなに積極的になれるはずがないのだ。あの場面でのファントムは、現代風に言えば、憧れのアイドルと一日デートをしているオタク少年のようなものなのだから。

あまりこういう言い方は好きではないのだが、この映画を見て「オペラ座の怪人」を知ったとは思わないでほしい。是非ともいつの日かミュージカルで見てほしい。

参考までに、アメリカのヤフーでの評価をリンクしておく。
http://movies.yahoo.com/shop?d=hv&cf=info&id=1800385821

Friday, January 21, 2005

財政学から見た日本経済 土居 丈朗 (著)

熱い財政再建論。

著者は若手の財政学者。自民党政権下での農村部へのバラ撒きや特殊法人の放漫経営、小渕内閣の財政出動等によって、日本の財政は破綻の危機に瀕しており、将来のハイパーインフレ又は増税が不可避であると説く。主張自体は目新しいものではないが、実証データに基づいているので説得力がある。

ただ、時系列での分析を示していないので、いつ頃破綻する可能性が高いのかは本書からは判断できない。この点は、例えば当面の景気低迷の克服策として一部で有力に主張されているインフレターゲット論との関係を知るためにも必要な情報であるから、是非とも提示してほしかった。

著者はまた、これからの福祉政策は従来のような地域単位、産業単位ではなく、あくまでも個人を単位として行うべきだと提言する。この点での著者の主張はとりわけ熱い。行間から熱意が染み出してくるようだ。本書第3章は全ての都市住民必読といってよいだろう。評者も著者の主張に深く同意する。

最後に、蛇足ながら、財政学者は偉くなればなるほど、財務省か旧自治省に取り込まれ、いずれかの系統の御用学者になりがちである。実際のところ日本の財政政策の中枢はこれらの官庁なのだから、仕方ない部分もあるが、著者には是非とも中立を貫いてほしい。

デモクラシーの論じ方―論争の政治 杉田 敦 (著)

文句無しに星5つ。

デモクラシーに関する入門書として文句無しにオススメできる一冊。国民主権、二大政党制、代表制、憲法といった重要な論点について示唆に富む議論が紹介されている。A君とB君の対話形式で、B君が常識的な見解を述べ、A君が挑戦的な意見を述べるというスタイルも面白い。

Thursday, January 20, 2005

読書家の新技術 呉 智英 (著)

人文系ヘタレインテリへの道。

著者には熱心なファンが多い。人文系の知識だけで政治や社会について語れるかのような幻想を与えるからだろうか。巻末のブックガイドで村上陽一郎や佐和隆光を勧めていることから、著者が自然科学や経済学については何も知らないことが分かる。本書は雑文書きになるためのハウツーとしてなら役立つかもしれない。もっとも人文系評論家のマーケットは今後縮小の一途だとは思うが。

Last Juror (Grisham, John) John Grisham (著)

ミステリーではない。

手に汗握る息もつかせぬミステリー…を期待すると落胆します。前半は法廷モノとしてそれなりに楽しめますが、中盤以降一気にテンポが下がり、アメリカの田舎町の長閑な日常が延々と綴られます。ストーリーが進展するのは終盤に入ってからです。アメリカの地方文化に関心のある人は楽しめるでしょう。その他の人には、別の作品をお勧めします

Sunday, January 16, 2005

ミクロ経済学 伊藤 元重 (著)

独習者へのアドバイス

ミクロ経済学の入門書。特徴としては、グラフを多用していること、価格理論だけではなくゲーム理論や不完全情報等の比較的新しいトピックについても解説していることが挙げられます。授業で教科書として使う分には問題ないのでしょうが、独学しようとする人には、体験的に以下のことをお勧めします。

○記述が若干前後することがあるので、途中分からない箇所があっても気にせず読み進めて、出来るだけ早く終わりまで通読してしまうこと。
○数学から長らく離れていた人はグラフの多用に少し戸惑うかもしれないが、読んでみると案外大したことは言っていないので怯まないこと。
○著者も勧めるとおり、初読の際は第2部の一般均衡分析は飛ばして、先に第3部のトピックのうち面白そうなものを拾い読みしてみること。
○トートロジカルに感じられる部分もあるが(特に第2部)、そういうものだと割り切って、あまり気にしないこと。
○演習は別の本を使った方がよいので、飛ばしてしまうこと。

Friday, January 14, 2005

遺伝子時代の基礎知識―ゲノム科学の最先端をぜんぶ見て歩く 東嶋 和子 (著)

わかりやすい。

科学記者さんが書いた遺伝子技術をめぐる諸問題についての一般向け解説書。筆者とネコとの対話形式、というスタイルには最初「?」と思ったが、読み進むうちに気にならなくなった。内容は、第1章が遺伝子組み換え食品、第2章がDNA鑑定、第3章がクローンと遺伝子治療について。叙述は分かりやすく、また一般消費者が知りたいと思う事柄をよく網羅している。逆に、科学的知識の解説は問題の説明に必要な限度でしかなされないので、分子生物学について体系的に学びたいと思う人は別の本を参照する必要がある。遺伝子技術の社会的インパクトや倫理的問題についても触れられているが、過度に危険性を煽ったりすることなく、各技術の恩恵と問題について公平な叙述がなされている点に好感が持てた。

Thursday, January 13, 2005

個人と国家―今なぜ立憲主義か 樋口 陽一 (著)

近代知の復権

著者は憲法学の大家で、とりわけ比較憲法の専門家。著者の主張の中核は、現在の日本では国家が経済的問題について自己の役割を縮小させつつある一方で、精神的問題について自己の役割を肥大させつつあり、これは立憲主義の伝統から見た場合逆ではないかということ。前者として主に念頭に置かれているのは規制緩和やそれに伴う「自己責任」論の高まりであり、後者として主に念頭に置かれているのは日の丸、君が代問題や靖国参拝問題である。

人によっては、こうした著者の主張は「左翼的」なものに思えるかもしれないが、著者の主張の土台にあるのは社会契約論、立憲主義といった「近代知」の本流そのものである。もし著者が左翼ならばアメリカやフランスやイギリスやドイツは軒並み左翼国家になってしまう。他方中国や北朝鮮は全然左翼でないということになるだろう。

ただし、著者の経済的問題に対するスタンスがやや福祉国家に傾斜したものであるというのは事実で、時折見える著者の「反グローバリズム」的立場には、(とりわけ経済学を学んだことのある人の場合)異論を持つ人も多いだろう。

全体に非常に読みやすく書かれているので、これまで憲法を全く学んだことのない人でもストレスなく理解することができる。他方、単なる憲法の入門書ではないので、既に法学部などで憲法をある程度学んだ人が読んでも得るところは大きい。とりわけ、比較憲法の専門家である著者が挙げる豊富な諸外国の事例は、我が国の憲法を広い視野から見ることを可能にしてくれるだろう。なお、口述筆記のため、体系だった記述にはなっておらず、具体的事例に触れる中で、重要な論点を繰り返し提示するスタイルになっている。

Tuesday, January 11, 2005

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 ダレル・ハフ (著), 高木 秀玄 (翻訳)

面白くて実用的。

ユニークなタイトルの本書は、裏から見た統計入門であり、統計に騙されないための実践的手引書である。叙述はユーモアに溢れ、思わずニヤリとさせられる。予備知識なしで気楽に読める。本書を読むと、新聞や雑誌に掲載されている統計の多くがいかにいい加減なものかが分かる。半世紀前に出版されたロングセラーだが、実用性は今日でも変わらない。それは裏を返せば世間での統計の使われ方がちっとも進歩していないということでもあるのだが。翻訳がやや硬いのが玉にキズ。

戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで 加藤 陽子 (著)

読者への配慮がちぐはぐ

内容は良い。テーマは明確だし、「研究書を水割りしたような本にしない」という著者の目標は、達成されていると思う。問題は文体だ。編集サイドの方針なのかもしれないが、ぎこちない「ですます調」で、皇族言葉風というか、日本昔話風というか、ともかく読みにくい。著者の慣れない様子が伝わってくる。これなら普通に論文調で書いてくれた方がよかった。あと、各章終わりの「参考文献」も趣旨が不明。発展学習のためのブックガイドのようなものかと思いきや、文字通り著者が執筆に当たって参考にした文献を挙げたらしい。でも、「東京大学史料編纂所研究紀要6号」とか「元老院会議筆記後期第18巻」とか並べられても、新書本の平均的読者は戸惑うばかりだ。そもそもアクセスの仕方すら分からない。編集サイドはもう少し考えた方がよかったんじゃないか。繰り返しになるが、内容は良い。

Monday, January 10, 2005

ゼロからわかる経済の基本 野口 旭 (著)

うーん、わかりやすい。

タイトルに偽りなし、何の予備知識もなく読める経済入門。たぶん著者は普段から大学で物分りの悪い学生相手に四苦八苦しているのだろう。読者が躓きやすいポイントをよく押えている。物分りの悪い者の一人として大変助かった。現実経済と経済学それぞれに対する叙述のバランスもとれている。ただ、入門書なのだから、巻末にブックガイドぐらい付けてくれてもよかったのに、と思うので星4つ。

Sunday, January 09, 2005

思想なんかいらない生活 勢古 浩爾 (著)

大失敗。

タイトルだけ見て購入して大失敗。ちっとも面白くなかった。第1章から第4章までのインテリ批判は、彼らの著作を読んだことがない私には何をそんなに怒っているのかサッパリ分からなかった。彼らの本を読んで挫折したことのある人であれば共感する部分があるのかもしれないし、しないのかもしれない。いずれにせよ私は著者の想定する読者層から外れていたということだ。著者がやたらと他人の文体を論評するのも気に障る。多分著者は自分の文章力だけには自信があるのだろう。でもそれはインテリ達が抽象的記号の操作能力を誇るのと何が違うのだろう。第5章の読書論だけは少し面白かった。でもそれは著者が引用する斎藤美奈子の分析が面白いからにすぎない。読みながら、全体的に何かに似てるなと思った。そして小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」だと気付いた。結末もゴー宣みたいだ。

Saturday, January 08, 2005

日本人の法意識 川島 武宜 (著)

今こそ読まれるべき名著

「タテ社会の人間関係」(中根千枝)、「甘えの構造」(土居健郎)等と並ぶ日本論の名著。日本的法意識を「前近代的」と断じている点については今日では異論もあるかもしれないが、むしろ私はこのような素朴さはこの時代の日本論の長所だと思う。文化相対主義が陥りがちな思考停止から自由であったればこそ、こうした簡明な分析ができたのだろう。現代思想ブームは遠く去り、時代は本書の問題意識に回帰しつつある。現在行われつつある司法制度改革や自民党の憲法「改正」論議の基底にあるものを理解するためにも、今こそ読まれるべき名著である。

Friday, January 07, 2005

憲法と平和を問いなおす 長谷部 恭男 (著)

刺激的な書

民主主義の意義と限界について述べた第1部と、立憲主義の役割について述べた第2部は秀逸で、これだけでも本書を読む価値があると思います。平和主義について述べた第3部でも興味深い議論が展開されます。ただし、「憲法第9条、とりわけ集団的自衛権の否定を、国家による合理的自己拘束としてとらえる」という著者の結論には疑問があります。集団的自衛権の否定が最高裁判所の判例として確立しているならばこういう議論も成り立つかもしれませんが、実際には内閣法制局の「意見」にすぎず、内閣には内閣法制局の「意見」に従う法的義務はありません。つまり、集団的自衛権の否定は法的には自己「拘束」になっていないのです。ともあれ、本書が良書であることには間違いありません。特に抽象的思考が好きな人には、十分な知的刺激を与えてくれることでしょう。

Sunday, January 02, 2005

森田療法 岩井 寛 (著)

魂の書

新書本にありがちな平板な概説書かと思い大して期待せずに読み始めたが、さにあらず、筆者の魂のこもった壮絶な書だった。筆者は、末期癌の病床で視力をも含む体の機能の過半を失いながら、自己の生きる意味を追求するため、口述筆記によって本書を執筆した。たとえ不安や恐怖に押しつぶされそうになっても、たとえ絶対絶命の状況に置かれても、それを「あるがまま」に受け入れ、自己実現のために一歩でも踏み出していく、そうした森田療法の精神を本書の執筆それ自体により筆者は具現化して見せたのである。本書の中で紹介される幾多のエピソードは、筆者の人生の記録そのものである。数度の流産経験を経てやっと授かった我が子が、生後間もなくして死亡する。その際、悲しみに満ち溢れつつ、筆者は赤ん坊の死顔を夢中でスケッチブックに描きとめた。傍目には異常とも思えるこの筆者の行動もまた、筆者流に解釈した森田療法の実践であった。これほど読み手の心を揺さぶる新書本を私は他に知らない。魂の書である。