読書録

Wednesday, June 21, 2006

疑似科学と科学の哲学 伊勢田哲治(著)

生きている科学哲学

職業哲学者の中には、「科学哲学」科に身を置きながら、勝手に科学哲学を殺してしまう人達がいます。そういう人達によれば、科学と非科学の境界問題に代表される科学哲学の基本問題は「死んだ」論点であり、もはや議論の対象にならないのだそうです。だったら潔くポストを返上すべきじゃないかと私などは思うのですが、そうせずに趣味の赴くまま関係ない問題を論じていたりするから困ったものです。

本書を読めば、そうした人達の言うことが、したくない仕事をしないための言い訳でしかないことが分かるはずです。アメリカでは学校で進化論への対抗理論を教えることの是非が重要な政治上の争点となっています。代替医療に対して公的医療保険からの支出を認めるべきかどうかは日本でも議論のあるところです。科学哲学は、こうした現在正に争われている課題に対して解答ないし解答の見通しを与え得るという点で、優れて実際的な意義を持つ学問分野なのであり、境界問題に代表される科学哲学の基本問題は、今後も問われ続けなければならないのです。

相対主義者の道具にされたり、分析哲学者の避難場所にされたりと、日本における科学哲学の歴史はあまり幸福なものではありませんでした。科学者が科学哲学に対して抱くイメージの悪さもこの辺の事情に由来する部分が大きいように思います。本書は、日本でもハードコアの科学哲学に真剣に取り組む人が出てきたことを示すものとして、記念碑的意義を持つと言っても言いすぎではないでしょう。

Tuesday, June 13, 2006

同一性・変化・時間 野矢茂樹(著)

哲学講義の実況中継

本書は前半と後半に分かれる。前半がシンポジウムでの発表と質疑応答を記録したもので、後半が同じテーマについての後年の考察を書き下ろしたものである。こう書くと後半の方が難しいような印象だが、実は、後半の方がずっと分かりやすい。前半は、あくまでも導入あるいは問題提起だと考えたほうがよい。つまり何が言いたいかというと、前半でつまずく箇所があっても、諦めずに後半まで読了すべきだということだ。

本書は、かなりくだけた文体で書かれている。大学受験の参考書で「実況中継シリーズ」というのがあるが、ちょうどあんな感じである。専門用語には必ず説明があるし、重要な点は繰り返し強調される。ところどころ冗談もある。その結果、ちょっと背伸びすれば、高校生でもついて行けるような内容になっている。

というわけで、本書は哲学に興味のある全ての人に勧めることのできるものだが、唯一引っかかるのは、他のレビュアーも書いているように、「何のためにそういう議論をするのか?」がいまひとつピンと来ないという点である。哲学というのは元来役に立たないものなので、実用的な意義など求めるべきではないのだろうとは思う。また、本書の分析的思考のプロセスは文句なしに面白いので、それだけでも本書には価値があるとも思う。ただ、問い自体の切実さのようなものが、もう少し強調されていても良かったようにも思うのである。

Sunday, June 11, 2006

新版 現代政治理論  W. キムリッカ(著)

非中立的記述の効用

英語圏の大学における政治哲学の教科書の定番である"Contemporary Political Philosophy"第2版の邦訳。第1版と比べると、シティズンシップ論と多文化主義についての新たな章が追加されたほか、全体に大幅な加筆・修正が施されている。

本書は、政治哲学上の諸見解を中立的な立場から解説したものではない。著者自身の立場から、他の見解を主として批判的に検討したものである。具体的には、第2章で功利主義の問題点を指摘した後、第3章でロールズ及びドォーキンの議論を基礎とした「平等主義的リベラリズム」が著者の立場であることを示し、第3章以下で、これに対する他の見解からの批判とそれに対する応答を述べる、という構成になっている。

したがって、例えば本書のマルクス主義に関する章を読めばマルクス主義全般について分かるというものではないし、フェミニズムに関する章を読めばフェミニズム全般について分かるというものでもない。本書が目指したのは、あくまでも、リベラリズム、とりわけロールズ「正義論」を中心として展開された、1970年代以降の英米政治哲学の議論の展開を読者に理解させることである。

そのような目的の本として読む限り、本書は大変優れている。多様な見解を一貫したストーリーの中で位置付け、分析する手法はほとんど名人芸である。また、批判と応答の繰り返しを追うことによって、知識だけでなく政治哲学という学問の議論の作法を知ることができるのも本書の長所である。

邦訳は哲学書の翻訳としては平明で、共訳にありがちな不統一もほとんど見られない。