読書録

Friday, September 26, 2008

ブックリスト

1 科学哲学/分析哲学/言語哲学/論理学

1.1 国外

◎ラッセル「哲学入門」「論理的原子論の哲学」「西洋哲学史」
◎ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」「セレクション」「講義」
◎ポパー「科学的発見の論理」「開かれた社会とその敵」
クワイン「論理的観点から」「こころと対象」
クリプキ「名指しと必然性」「ヴィトゲンシュタインのパラドックス」

1.2 国内

◎飯田隆「言語哲学大全Ⅰ~Ⅳ」「ヴィトゲンシュタイン」「哲学の歴史11」
◎野矢茂樹「論理学」「論理哲学論考を読む」「心と他者」
小野寛晰「情報科学における論理」
◎戸田山和久「科学哲学の冒険」「知識の哲学」「論理学を作る」
◎伊勢田哲治「疑似科学と科学の哲学」「動物からの倫理学入門」「認識論を社会化する」
◎黒田亘「経験と言語」「知識と行為」「行為と規範」

2 実定法学

◎平野龍一「刑法概説」「刑法ⅠⅡ」「刑法の基礎」
植松正「刑法学教室」
◎道垣内弘人「ゼミナール民法入門」「担保物権法」
中山信弘「著作権法」
白石忠志「独禁法講義」
道垣内正人「ポイント国際私法」

3 ミクロ経済学/ゲーム理論/法と経済学/社会的選択

グレゴリー・マンキュー「マンキュー経済学」「マクロ経済学」
渡辺隆裕「ゼミナールゲーム理論入門」
小林秀之・神田秀樹「『法と経済学』入門」
梶井厚志・松井彰彦「ミクロ経済学-戦略的アプローチ」
柳川範之「契約と組織の経済学」
柳川範之「法と企業行動の経済分析」
矢野誠「ミクロ経済学の応用」
横尾真「オークション理論の基礎」
佐伯胖「きめ方の論理―社会的決定理論への招待」

4 政治哲学/倫理学/法哲学/憲法学

◎キムリッカ「現代政治理論」
◎井上達夫「共生の作法」「他者への自由」「法という企て」「普遍の再生」
◎長谷部恭男「比較不能な価値の迷路」「憲法の理性」「憲法学のフロンティア」
阿川尚之「憲法で読むアメリカ(上・下)」
中山竜一「二十世紀の法思想」

5 基本文献(政治哲学)

プラトン「国家」
ホッブズ「リヴァイアサン」
ロック「統治論」
カント「道徳形而上学原論」
ルソー「社会契約論」
ミル「自由論」
マルクス「共産党宣言」
マルクス「資本論」
ハイエク「自由の条件」
ロールズ「正義論」
ノージック「アナーキー・国家・ユートピア」
ドゥオーキン「権利論」
アマルティア・セン「集合的選択と社会的厚生」
ピーター・シンガー「実践の倫理」

6 基本文献(形而上学)

プラトン「テアイテトス」
デカルト「省察」
バークリー「ハイラスとフィロナスの三つの対話」
ヒューム「人間知性研究」
カント「プロレゴメナ」
カント「純粋理性批判」
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」
ラッセル「西洋哲学史」

7 その他著者別
 
◎丸山眞男
小熊英二
◎竹内洋
佐藤卓己
苅部直
小室直樹
中根千枝
川島武宜
苅谷剛彦
◎長尾竜一
井筒俊彦
宮崎市定

8 和文英訳参考書

Sunday, September 14, 2008

リヴァイアサン 長尾龍一(著)

イカロスの墜落

本書は三つの部分から成る。国家概念の変遷を綴った第1部、ホッブズ、ケルゼン、シュミットという三人の思想家の国家論を比較・分析した第2部、そして超全体主義の可能性をSF的に考察した「付 国家の未来」である。各部はゆるやかに関連しており、本書に通底する著者の問題意識は「はじめに」と「あとがき」において語られる。

本書第2部での三人の思想家の比較・分析は、まさに専門の研究者ならではのもので、そのレベルの高さは評者のような門外漢にも伺い知れる。他方、本書第1部や付章、それに「はじめに」と「あとがき」での著者の国際政治への洞察は、戸惑うほどに素人的で、ナイーブとの印象を否めない。本来、前者の分析が後者の主張に説得力を付与するはずなのだが、どうしてもそうなっているようには思えない。

実は、こうした読後感は本書に限ったものではない。学者が国際政治について行う言説全般に共通するものである。

おそらく、現在進行形の国際政治というのは、学問的に語り得る領域ではないのだろう。学者がどれだけ優れた理論を構想したとしても、それを現実の問題に適用して提言を導くためには、三段論法における小前提としての諸事実が必要である。しかし、国際政治が為政者間のゲームとしての側面を有する以上、国際政治における諸事実は決して十分には公開されない。相手に手の内を明かししてしまってはゲームにならないからである。公開されるのは、相手の行動に影響を与えない重要でない事実(遠い過去の事実を含む)か、あるいは相手の行動への影響を期待した操作された事実のみである。結果、国際政治についての学者の言説は、必然的に机上の空論となる。

結局のところ、国際政治について学者が行い得るのは、既に公開された過去の諸事実について史的分析を行うことか、あるいは抽象的な理論を抽象的なまま為政者に「献上」することだけである。これらを踏み越えて現実の国際政治について論じようとするのは、学者には過ぎた振舞いなのだ。

Sunday, September 07, 2008

基礎英作文問題精講 花本金吾(著)

和文英訳はこれでバッチリ。

プロの翻訳家を目指すのでもない限り、和文英訳の学習は、松本享「書く英語・基礎編」と本書の2冊で十分です。使い方は、ともかくスピードを意識してリズムよくパッパッと英訳していくことです。間違っても1つの例題に5分も10分もかけてはいけません。実用英語では正確さと同じかそれ以上に速さ、瞬発力が重要なのです。Part 1からPart 3までで300弱の例題がありますが、これを1題30秒、合計150分くらいで回せるようになれば、英作文の基礎は万全です。

憲法とは何か 長谷部恭男(著)

むかしなつかし文化人

戦後、1970年代くらいまで、日本には「文化人」と呼ばれる人たちがいた。彼らは豊富な学識と流麗な文体を武器に、東西冷戦から公害問題まで、幅広い話題について華々しい論戦を繰り広げたものである。だが、今ではそうした人たちはどこかへ消えてしまった。現実政治の諸問題の解決に必要なのは、教養の豊かさや文章の巧みさではなく、もっと地味で着実な社会工学的専門性だということが徐々に認識されるようになったからである。論壇貴族たちの華やかな論戦は、結局のところ、装飾された床屋談義以上のものではなかったのである。

丸山眞男が繰り返し引用されることからも推察されるように、著者にはどうもこうした万能文化人への憧憬があるようだ。それが本書の記述の所々に「危うさ」を感じさせる要因ともなっている。たとえば著者が、「冷戦下において共産主義の脅威に対抗するためにアメリカの核の保護を受けたことは…合理的な選択であったといえる。しかし、それ以上に、他国の体制の変更を求めて武力を行使することを厭わない特殊な国家(評者注:アメリカのこと)との深い絆を求めるべきか否かについては、より慎重な考慮が必要であろう」とか、「深刻な環境問題に対処するために必要な地球規模の協力関係を構築していく上で、そうした特殊な国家と深い絆を結ぶことの有効性をいかに評価すべきかも重要な考慮要素となる」と、良く言えば慎重な、悪いく言えば回りくどい言いまわしで語る時、著者は自分が述べていることをどこまで理解しているのだろうか。著者が誇る欧米政治哲学の豊かな識見は、日米関係や環境問題についての何の専門性も保証しない。ここでの著者の発言は、素人の床屋談義以上のものではない。憲法学者が憲法学者として語り得る範囲は、著者が考えるほどには広くないように思われる。

勿論、本書には憲法学者ならではの見識も多く含まれている。たとえば巷で主張される改憲論の多くが法学的に無意味であることを示す冒頭のくだりは、憲法学者ならではのものである。だが、専門外の事柄と専門内の事柄を一冊の本で語るのは、非常に危険なことだ。同様の路線をとり続けた場合、いつか専門外のことで筆を滑らせ、著者の憲法理論の信用性まで損なわれる結果とならないか。特に昨今、専門家の専門外での不用意な発言は、ネット言論での格好の批判対象となる傾向がある。人ごとながら心配である。