読書録

Wednesday, July 26, 2006

マインド―心の哲学 ジョン・R. サール(著)

スリリングな論理展開。

二十世紀初頭以来、英米分析哲学の関心の中心は一貫して言語であったが、著者によれば、近時は言語から心に主題がシフトしつつあるのだという。言語に関する問題は心を巡る問題の特殊例として理解される傾向にあるそうだ。本書はそうした「心の哲学」の入門書である。

本書が扱うのは、心身問題、自由意志、認識論、自己同一性といったデカルト以来のお馴染みの問題と、意識と無意識、志向性といった心の哲学特有の問題の両方である。各問題について、英米哲学ならではのシャープな論理展開が楽しめる上に、随所で援用される神経生物学の成果も興味深い。それでいて、評者のような門外漢にも分かるよう簡潔明瞭な筆致で書かれている。

もっとも、著者が展開する論理には必ずしも納得のいかないものもある。たとえば、認識論については独我論やセンサデータ論を三人称的視点から切って捨てているのに対し、心身問題については一人称的視点の三人称的視点への還元不可能性を根拠として計算主義を退けるのは、果たして一貫しているのだろうか。また、著者がかなりのページを割いて説明している心身二元論の論駁は、インターネットの仕組みを少しでも学んだことのある人なら誰でも知っているはずの、「レイヤー」という概念を使えばもっと簡単に説明できたのではないかとも思う。

とはいえ、本書が全体として良書であることには間違いない。翻訳は丁寧で読みやすく、訳注も行き届いている。

Tuesday, July 25, 2006

省察 ルネ・デカルト(著) 山田 弘明(訳)

叙述スタイルと翻訳の比較。

デカルトの形而上学に関する著作としては、本書「省察」のほかに「方法序説」と「哲学原理」があるが、述べられていることのエッセンスはどれもほぼ同じ。つまり、方法的懐疑、「我思うゆえに我在り」、神の存在証明、心身二元論、といった議論の流れは、どの本でも共通する。

違うのは叙述のスタイルである。「方法序説」が自分の思想の発展を振り返って簡潔にスケッチするもの、「哲学原理」が主張と根拠を体系的に記述するものであるのに対し、本書「省察」は著者の思考の過程を詳細に再現したものである。

このため本書では「…だろう。いや、違う。やはり…だ。いやいや、そうではない。よく考えると正しくは…だ」というふうに、自分の言ったことを直後に否定する文章が延々と続く。こうしたスタイルは、デカルトの思考の過程を追体験できるという他では得難いメリットがある一方で、読んでいて先が全く予測できないという難点もある。そういう訳で、初読者には「哲学原理」と併読することをお勧めする。

現在簡単に手に入る翻訳としては、白水社、中央クラシックス、ちくま学芸文庫の三冊がある。厳密に比較した訳ではないが、原文の忠実な再現という点では白水>ちくま>中央の順、日本語としての読みやすさという点では中央>ちくま>白水の順、というのが私個人の印象である。

Friday, July 07, 2006

クリプキ―ことばは意味をもてるか 飯田 隆 (著)

「あとがき」から読もう。
クリプキの「ヴィトゲンシュタインのパラドックス」についての解説書。他のレビュアーも指摘するとおり、クリプキの他の業績(可能世界論や「名指しと必然性」での議論など)については何も書かれていない。だから、クリプキの業績全般についての概説書を期待して購入する人はガッカリするだろう。でも、クリプキは自分の体系を着々と構築するタイプではなく、その時々に関心を持った課題を議論するタイプの哲学者だから、別にこれで構わないのだ、というのが「あとがき」での著者の説明で、多分それはそうなのだと思う。記述は大学新入生向けの講義を基にしているだけあって実に分かりやすく、クワス算のくだりは適度にふざけていて面白い。タイトルは若干ミスリーディングだが、本書の趣旨さえ誤解しなければ、とても良い本である。