マインド―心の哲学 ジョン・R. サール(著)
スリリングな論理展開。
二十世紀初頭以来、英米分析哲学の関心の中心は一貫して言語であったが、著者によれば、近時は言語から心に主題がシフトしつつあるのだという。言語に関する問題は心を巡る問題の特殊例として理解される傾向にあるそうだ。本書はそうした「心の哲学」の入門書である。
本書が扱うのは、心身問題、自由意志、認識論、自己同一性といったデカルト以来のお馴染みの問題と、意識と無意識、志向性といった心の哲学特有の問題の両方である。各問題について、英米哲学ならではのシャープな論理展開が楽しめる上に、随所で援用される神経生物学の成果も興味深い。それでいて、評者のような門外漢にも分かるよう簡潔明瞭な筆致で書かれている。
もっとも、著者が展開する論理には必ずしも納得のいかないものもある。たとえば、認識論については独我論やセンサデータ論を三人称的視点から切って捨てているのに対し、心身問題については一人称的視点の三人称的視点への還元不可能性を根拠として計算主義を退けるのは、果たして一貫しているのだろうか。また、著者がかなりのページを割いて説明している心身二元論の論駁は、インターネットの仕組みを少しでも学んだことのある人なら誰でも知っているはずの、「レイヤー」という概念を使えばもっと簡単に説明できたのではないかとも思う。
とはいえ、本書が全体として良書であることには間違いない。翻訳は丁寧で読みやすく、訳注も行き届いている。
二十世紀初頭以来、英米分析哲学の関心の中心は一貫して言語であったが、著者によれば、近時は言語から心に主題がシフトしつつあるのだという。言語に関する問題は心を巡る問題の特殊例として理解される傾向にあるそうだ。本書はそうした「心の哲学」の入門書である。
本書が扱うのは、心身問題、自由意志、認識論、自己同一性といったデカルト以来のお馴染みの問題と、意識と無意識、志向性といった心の哲学特有の問題の両方である。各問題について、英米哲学ならではのシャープな論理展開が楽しめる上に、随所で援用される神経生物学の成果も興味深い。それでいて、評者のような門外漢にも分かるよう簡潔明瞭な筆致で書かれている。
もっとも、著者が展開する論理には必ずしも納得のいかないものもある。たとえば、認識論については独我論やセンサデータ論を三人称的視点から切って捨てているのに対し、心身問題については一人称的視点の三人称的視点への還元不可能性を根拠として計算主義を退けるのは、果たして一貫しているのだろうか。また、著者がかなりのページを割いて説明している心身二元論の論駁は、インターネットの仕組みを少しでも学んだことのある人なら誰でも知っているはずの、「レイヤー」という概念を使えばもっと簡単に説明できたのではないかとも思う。
とはいえ、本書が全体として良書であることには間違いない。翻訳は丁寧で読みやすく、訳注も行き届いている。
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