読書録

Thursday, August 11, 2005

新版 法律学の正体 副島 隆彦 (著), 山口 宏 (著)

本書の読み方。

著者らによると、本書は法律学の各分野のアウトラインを初学者向けに解説することと、現在の日本の法律学の在り方を批判的に検討することの二兎を追ったものとのことである。私見によれば、本書は一匹目の兎は完全に逃がしてしまっているが、二匹目の兎を捕まえることにはある程度成功している。

本書は、第1章で「これが法律学の全体像だ」として総論を述べた後に、第2章以下で民法、憲法、刑法、商法、訴訟法、行政法の各法について各論を述べる、という形に一応なっている。しかし、第2章以下の諸法の解説は、あまり纏まりがなく、お世辞にも出来が良いとはいえない。最近は法律学の入門書にも分かりやすいものが増えてきたので、初学者が敢えて本書の分かりにくい(しかも相当にバイアスのかかった)解説で学ぶ必要はない。他方、既習者にとっては言われなくても分かっているようなことしか書いていない。

というわけで、基本的に本書は第1章だけ読めばよいものである。しかも、副島氏解説部分は学会裏事情的な話が大半なので、そうしたものに興味がない人は読み飛ばしてしまって構わない。第1章で山口氏が解説している部分だけ読めば本書のエッセンスは十分に理解できる。それは一言で言えば、「日本の法律学は学者の個人的価値判断をあたかも条文から演繹的に導かれたものであるかのように偽装しているにすぎない」ということで、その論旨は第1章の「法律学の恣意性について」という論考で展開されている。この論考は簡潔に纏まったなかなか秀逸なものなので、本当に時間のない人はここだけ読めばよいと思う。

本書の法律学批判は一面の真理を衝いたものだと思う。だからこそ本書は全体としての纏まりのなさにも関らず、これだけ版を重ねているのだろう。ただ、本書では「なぜ日本の法律学はそのようなものになってしまったのか」という原因の究明や、「では法律学はどうあるべきか」という解決策の提示は行われてない。

原因については、欧米では無数の具体的事例の「結晶」として様々な法的ルールが形成されてきたのに対し、日本では外国から既製品としての法的ルールを輸入した結果、日本の法律学及び法学教育の力点は外来のルールを国内の事例に器用に当て嵌めることに置かれ、事例からルールを抽出するという法律学本来の役割が軽視されてきたこと、解決策については、解釈学の枠に捕われず立法論も含めて自由に論じること、価値判断部分を隠さずに前面に出して議論を展開すること、経済学等の社会科学の成果を取り入れて事実判断部分を精緻化すること、等が一応の方向ということになるのだろうが、そうした点についての立ち入った議論は見られないのが残念である。

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